死神少女は恋に戸惑う

第五話・その日私は、出会ってしまった。

 久々にそこそこ手応えがある相手だったのだ。
 この仕事を始めてから苦戦したのは片手で数えるほどと言えど、それでもいつも命を懸けた戦いだ。この敵の多い地に配属されたことに両親がひっそり涙を零していることは知っているけれど、父に恥じぬ結果を出したいと私が自ら望んでいたのだから、戦果で家族には報いたい。家族がそんなことを望んでいないことはわかっているが、体の弱い妹の為にも我が家は戦果を出さねばならないのだ。
 私は死神なのだ。敵を屠ることこそ使命。
「まったく、こんな赤月の日に」
 べちゃりぐちゃりと気持ちの悪い粘着質な音を立てる今日の敵は、既に大分人を食ってこの地に流れてきたらしい。『目』にこだわりがあるのかいくつも目を携えた心蟲は、赤月というあれらの絶好の機会を使い、広い視野を持ってこちらの攻撃を防いでくる。その視野を持ってここまで育つまで多くの人間を喰らったのだろうと思うと、お偉方も怒り心頭だろう。
 主武器である白銀の鎌が、目玉をそぎ落とす。確かに広い視野は脅威だが、要は相手が反応する前に落とせばいいのだ。予定より時間は食ったが確実に相手の力をそぎ落とした私は、そろそろ止めを刺さねばと鎌を構えなおしたところで、少し前から鈍くなっていた敵が急に動きを変えたことに一瞬警戒し……その理由に気づく。
「なっ」
 ここは表の、普通の人間が生活する地ではない。鬼が隠れ住む昼のない夜世界であり、人間が入れるはずがないこの地に、明らかに異質な人間がいた。
 私が落とした目玉が、地面に倒れたその人間を凝視している。獲物を目の前に、宿敵の私がいるのを無視して蟲が明らかに動きを変えた。……あの人間恐らく、『極上』なのだ。
「そんな!」
 ここであの人間を食われたらまずい。投げつけられたタイヤのホイールを鎌で払い焦ったその時、その人間が起き上がる。顔を上げたその瞳が強い力を持っていることに安堵した。まだ、生きている!

「……っ! さるへっ、気がついたのなら、逃げてください!」
「え、猿!? 俺!?」
「違います! きゃあっ」
 混乱しているらしい男性に気をとられた瞬間、伸びてきた鉄片が左腕をかすめた。この蟲、汚らしい身体の中に拾ったゴミをため込んでいるせいで、何が出てくるかわからないというのに油断した。慌てて鎌で払い、応戦する。
「申の、『方角』です! そちらに出入り口がありますから! くっ」
「わ、わかった! そっちに……ってかなんだかわからないけど君も逃げよう!」
「この蟲を倒したら私も出ますのでご心配なさらず!」
「む、虫ぃっ!? そんな可愛らしいもんじゃないだろそれ!」
 この状況で人を気にする余裕があるのは大物なのかお人よしなのか、逃げ出そうとしない青年はまだ捕らえられていない。逃げて、と叫ぼうとしたその瞬間、急に伸びてきた目玉が私の鎌の先にわざと絡みつき、自ら切られて落ちていく。しまった!
 下の人間を凝視しながら落ちたかと思った目玉は、それを取り込もうと一気に身体を膨らませ浸食を開始する。まずい、と悲鳴が上がる。
「このままではあなたが喰われます! 逃げて! 守り切れない!」
「わ、わかったごめん!」
 本体を相手にしながらなんとかその核を突こうとしたが、敵の方が速かった。
「……えっ待って、申の方角ってなに!? ってうわっ!」
 捕らえられた。びちびちと気持ち悪い身体をくねらせ蛇のように伸びた蟲が、青年の足から巻き付きその腕に絡みついて、青年の目を凝視する。舌打ちをして腰にある術石を引きちぎり、守護せよと唱えて投げつける。私が持っているものの中でも特上の術石は千切れた目玉の一つに過ぎない蟲を完全に浄化し、その守護対象者の身体周辺に蟲を寄せ付けない術を展開する。だが今日は赤月、持って十分と判断して、ありったけの力を鎌に流し込む。
「死になさい!」
 本来ならばこの敵地で余裕を残さず力を使うなんてありえない。だが下の人間を守らなければこの蟲は恐らく災害レベルに成長する。今はもう私でもわかる程強い魂を持つ青年を前に彼を守ることを最優先し突き刺した鎌は、ごっそりと私の身体を巡る神力を吸い取って蟲の核を一気に砕いたようだった。ぞっとするほどの疲労感にほんの一瞬深く息を吸い込み、誤魔化すように鎌を振り払う。
 人間が夜の世界を見てしまったときの対処は当然習っているが、呆然とこちらを見上げる青年を目にし、ぎゅっと胸の奥が痛む。いつだってこの作業は、いろんな意味で気持ちがいいものではない。だがこんな世界、普通の人たちが知らないほうがいいのだ。
 地に降り立ち覗き込んだその瞳は、息をのむ程やはり美しかった。ああ、もったいない。そう考えかけた思考を振り払い、私の怪我を気にする彼にろくに応えることもできず、強引にことを進める。
「ずいぶん疲れているようですね。こんなおかしな『夢』を見る程に。目が覚めたら怖いことは何も覚えていませんよ」
「は? いや、いやいや」
「大丈夫です。こんなこと忘れる方がいい。きちんと、消しますから」
 そうして体に触れ、術を紡ぐ。これでいい。その瞳がだんだん私を映さなくなる瞬間を見たくなくて、それでも術がかかりきることを睨むように確認し、変化を静かに受け入れた私は立ち上がる。ぐるりと周辺に陣を描き、この空間を表に戻す作業を終えた私は、そのまま動きを止めたままの彼が意識を戻す前にその場を離れ……少し先の公園の遊具のそばでずるずると座り込んだ。
「いった……傷治す力は残ってない、か」
 戦闘服を解き、意味があるのかわからないこの世界で暮らすための装いに戻した私は、その場にあった水道でばしゃばしゃと適当に傷口を洗い、鞄にあった包帯を、腕を壁に押し付けて支えながら適当に巻く。どうせ私の姿は普通の人間に見える筈がないのだから、多少不格好でも気にはしない。力が戻ったら回復術で傷を治せばいいだけだと言い聞かせ、痛みから目を背けベンチにごろりと横になる。家に戻る気力はもう残っていなかった。
 目を閉じても浮かぶのは先ほど見た綺麗な瞳。印象的な人だったなとその考えを振り払った私は、勝手に作動する人避けの術を頼りにその場で休息をとったのだ。
 後悔したのは日が昇った後だった。やはり神力術の使い過ぎと無理をした反動で全身が痛み呻く羽目になった私は、高くなっていく太陽がだんだんと影を連れ去り、日に照らされて体力が奪われていくことに焦った。術を使う前に生身の肉体の限界が来ては元も子もないが、まだ術が使える程神力は戻っていない。雲ってくれないかとも思うが、空は憎たらしい程晴天だ。先程からちらほらとそばを通る人間たちは相変わらず私に気づく様子もなく、ただ一人切り離された世界にいるような感覚が心を冷やしていく。
 妙なプライドだと理解はしているが、緊急信号を出すのは躊躇いがあった。この地の担当を外されたら? だがそろそろ限界か、と遠のく意識の中で覚悟を決めかけた時、どこかで焦ったような声が聞こえた……と思った直後何かが体に触れ、一気に意識が覚醒していく。
「おまっ、昨日の!」
「……え」
 そこにいたのは、昨日の男性だった。一気に全身が粟立ち、なぜどうしてと疑問や不安が波のように押し寄せる。
 術に失敗した? いやまさか。確実にかかったのを確認している。
 ならなぜ覚えている? いやそもそも、なんで私が「見えている」?
 私は死神だ、ただの人間に見える筈もないのに。混乱した頭が、ゆるゆると両親の言葉を意識の奥底から導き出していく。
『あなたを見つけてくれる人はきっといる』

 それを私たち一族は運命と呼ぶ。

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