死神少女は恋に戸惑う

第四話・やはり夢ではなかったのだ。

 テスト終了後、深いため息を吐く。
 出来はぎりぎり、といったところか。予定外のアルバイトが決まった時点で即テスト勉強したとは言え、一夜漬けのようなもの。肝心の前日である昨日は摩訶不思議現象に遭遇し、ついつい魔法少女だなんてこの歳になって検索履歴を見られたら困るワードをスマホに打ち込んでいた俺は見事に寝落ちして、曜日で設定していたスマホの目覚まし機能に起こされ飛び起きたのだ。夏休み前のテスト、高校時代のように結果が悪ければ補習なんてことはないが、評価が下がるのはいただけない。がしがしと頭を掻きもう一度ため息を吐いて立ち上がると、同じテストを受けていた友人の勝也が「よぉ」と俺の隣に座る。
「その様子じゃ、出来はお察しか?」
「ああ。昨日飯食ってる途中で寝落ちした。プリン食い損ねたし」
「マジかよどんだけ。アルバイト急に入ったって言ってたもんな」
 シフトが自分で希望した日が優先だと知っている勝也は、断れよ馬鹿だなぁなんて笑って机に肘をつく。
「で、今日もう終わりだろ、飯でも行かね? 美亜ちゃんと優香ちゃんもさっきこれで終わりだって言ってたんだよ」
「あー。いや、帰って寝てぇ。体痛ってーし、あーくそ寝た気がしない」
「えー。俺一人で美亜ちゃん誘うの無理……」
「俺を宛てにするな」
「だって優香ちゃん絶対お前が言えば来てくれるだろ? 頼むよー」
「はぁ……そんなんじゃねーし無理だ、他当たれ」
 勝也が言っているのは俺たちが所属するサブカルサークルで一緒の女子二人だ。と言っても強制的な活動なんて年に三回の飲み会くらいで、あまり周囲と趣味を語り合うことがない俺は名前だけ所属しているようなものであるが。いいか、解釈違いは不和を生む。それくらいなら俺は一人で楽しみ語りはしない……のだが、春に新歓でたまたま席が近くなった長居優香とはプレイしていたスマホアプリゲームが同じものが多く、稀に同パーティーを組んで狩りをしたり、たまに軽く学食で話す程度には仲良くなった。滝口美亜は長居の友人で、勝也はどうやら滝口が好きらしく、ことあるごとに食事に誘おうとしては声をかける前に挫折している。二人ともきらきらしてて今時って感じで緊張するんだよとは勝也の弁である。なんなんだお前は。
 隣で暑苦しいことにじめじめといじけている勝也を見て、ため息を吐きつつ悪いなと声をかければ、ふひ、と変な声で笑われた。
「いや、俺こそごめん、マジ疲れてるっぽいな、隈あるぞ」
「あーまじか。うん、もうやっぱ帰って寝るわ」
 おう、と手を上げひらひらする勝也に手を振り返し、じゃあなと纏めた荷物を確認して立ち上がる。丁度廊下に出ようとしたところで後ろから名前を呼ばれて振り返ると、長居が小走りに俺のそばに駆け寄ってくる。
「怜くん、もう帰るの? よかったらご飯のあと今日の二時のメンテ開けのイベント一緒にって思ったんだけど……」
 忙しいかな、と首を傾げる長居は背が低く、それを見下ろす形になってふと、昨日の少女も小柄だったなと思い出し慌てて思考を振り払う。あれは夢。夢であれ。
 長居が言っているのは今二人とも一番プレイしているゲームのことだろう。スタートダッシュは大事……であるが正直そんな気力がない。あとで禁断の最強アイテムである魔法のカードに頼るか……なんて考えたところで、コンビニですら手に入るあのカードが脳内で昨日の不思議な魔法陣に代わり、首を振ってそれを追い払う。と、それを見て勘違いしたのか、長居の眉が顰められ困ったような表情で覗き込まれた。
「怜くん……?」
「あ、いや悪い、昨日アルバイト忙しくてさ、ぶっちゃけ立ったまま寝そう」
「えっ、大丈夫? あ、ほんとだ、隈すごい」
「……そんなにか。うん、ということで俺ちょっと帰って寝るわ。イベントは起きたらやるかな……」
「そっかわかった。じゃあまた今度ご飯でも行こ?」
「ああ」
 んじゃ、と手を上げて今度こそ歩き出す。昼飯どうするかな、またコンビニか、それともハンバーガーでも買って帰るか。少し考えて、昨日のプリンのリベンジでもするかと再びコンビニに寄ることを決意して大学前の駅から家への最寄り駅へと電車に揺られる。外はじりじりと暑く、日差しも強い。ぼけっと突っ立っていたら熱中症になりそうな暑さの中、駅の自販機で水を購入して飲みつつ少しでも暑いアスファルトと照り付ける日差しを避けようと、ほんの数分の距離の遠回りではあるが森林浴が出来る程緑豊かな公園へと足を踏み入れた俺は、あと少しで公園を抜け家も目の前だというところで、呼吸が止まりそうになるほどの衝撃を受ける。
 ぎりぎり日陰になっていない、公園に並ぶベンチの一つ。そこにぐったりと白いワンピースに身を包む長い黒髪の少女が身を預けており、明らかに顔色も悪く、ぞわりと全身が粟立った。
「ちょ、おい! 大丈夫か!」
 ぱっと見たところ、暑いせいか周囲に人通りはない。声をかけながら顔にかかって邪魔な髪を払い、ひゅっと息をのむ。少女の左の二の腕に、乱雑に包帯が巻かれていた。その中心にじわりと血が滲んでおり、どこかで見た光景に脳が強く揺さぶられるような感覚に陥る。まさか、ともう一度少女の顔を見つめた時、億劫そうに持ち上がった瞼の向こうにある青い瞳を見て、確信した。髪の色が違うが、彼女は昨日の魔法少女と同じ顔だ。
「おまっ、昨日の!」
「……え」
 掠れた小さな声。しかしゆるゆるとその表情が驚愕したものに変わり、小さく血の気の引いた唇が震える。
「どうして、おぼえ、え? わたし、みえ……」
「ああもう、喋るな! 待て、今救急車呼ぶから!」
 慌ててスマホを取り出したその手に、ほっそりとした小さな指が重なる。画面を隠すように添えられたそれに、おいと声を掛けようとして顔を上げたところで、ふるふるとゆっくりだが、必死に首を振る少女と目が合った。
「だめ。私、びょ、いん、いみない、から」
 だから。続けられる声がどんどん掠れて小さくなり、その言葉の意味を理解して、くそ、と吐き捨てる。はぁはぁと呼吸を乱す少女は、それ以上声を出せず再び目を閉じた。
「まじかよ魔法少女……っ! とりあえず、水!」
 自販機を探すが周囲にそれらしきものはなく、ああもう、と叫びながら鞄から先ほど己が口をつけたばかりの水を取り出す。
「俺のでごめん、これ飲んで!」
 ふたを開けてその手に持たせるが、力が入らないらしいその腕に持たせることを諦めて直接口元に持っていく。ペットボトルを慎重に傾ければ、たらりと唇から数滴水が零れ落ちたものの、少しして確かにこくりと飲んだのを確認して、数度それを繰り返す。
「誰か迎えに来てくれる人の連絡先は? 保護者の番号わかるか、場所は!?」
 ゆるり、と首を振られる。
「家はどこ」
 ふたたびゆるゆると首を振られ、悩む頭で知恵を絞りだし最後の頼みと「警察」と口にするが、即座にぐっとスマホを掴む手に力が込められ、首を振られる。汗の流れる己の首筋を拭いながらああもう、と思考を巡らせる。
「……なら! 救急車か、俺の家か、どっち!」
 それ以外の選択肢が思いつかないのなら仕方ない。さっき少女は「どうして覚えてるのか」と俺に言った。確実に、昨日の少女なのだ。その左腕の包帯に滲む血も現実であり、やばいぞ、という警報が脳内で鳴り響くのを振り切るように首を振る。病院は意味がないという彼女は明らかに「普通の人間」ではない。昨日味わった非日常の世界がすぐそこに迫るようで冷や汗が流れるが、……さすがにこの状況で見捨てるのは無理だった。
 くたり、と力が抜けた指先が、スマホの画面から滑り俺の手に重なった。ああもう、承諾でいいんだな、と慎重にその背と膝裏に腕を回す。唸れ皿で鍛えた俺の腕力。かっこつかないが、少女は思ったよりも軽かった。いや、魔法少女だからこそという意味ではなく、単純に小柄な彼女は折れそうなほど腕も足も細く、体重が多分軽いのだ。これなら、と家の近くで発見できたのを幸運だと思うことにして日差しの照り付ける中を進む。汗だくの男に抱き上げられるのは嫌だろうが、救急車も警察も駄目、保護者の連絡も駄目と来たら、昨日の彼女の特殊な状況を考えるにこれで我慢してくれとしか言えない。……え、これ大丈夫だよな? 同意でも誘拐か? この子どう見ても未成年。くっそ事案!
「なぁ、ほんとに、俺の家でいいんだな? ……手当てと水分とらせるくらいしかできないしやれないしやらないけど」
 軽いといってもこの暑さの中で人一人抱えて歩くのはなかなかに体力が消耗する。はぁはぁと息を切らしながら言えば、ゆるりと伏せていた目を開けた腕の中の美少女は、ただ僅かに口角を上げ「ありがとう」と声を絞り出したのだった。

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