死神少女は恋に戸惑う

第六話・魔法少女ではないらしい

 家の前につくころには目をぱちりと覚ました少女が、歩けるので降ろして欲しいと訴えた。それならばと一度降ろしたものの保護者を呼べるかと言えば困った顔をされ、参ったなと頭を髪を掻き毟ると、あの、と伺うように見つめられる。じっと深い海のような瞳に見つめられて思わずごくりと息を飲むと、なぜか落ち込んだ様子を見せた少女は、説明させてください、とか細い声で言葉を続けた。
「あなたが昨日、危険な目にあったのは偶然じゃなさそうです。私の、せい。ご迷惑だとは思いますが、一度状況と対処方法をご説明させていただく機会をいただけませんか」
「え、いや、そんなかしこまらなくても。えーっとそれじゃ、あー、えーっと、体調落ち着いたならファミレスでもいく?」
 混乱した頭で必死に考えて出した無難な答えはまさかのファミレスだった。体調が悪い少女を家に連れ込むのも大変問題行為だが、体調が戻った? らしい少女を連れ込むのも理由がなくなった今では気が引ける。もちろん無理してる可能性はあるが、それでも男の一人暮らしの家に連れ込まれるよりはマシだろう。
 候補は他にもファストフードやらカフェやらあるだろうに、どうにもこの見た目未成年の少女を連れ歩くなら兄妹設定でいけないかな、と考えた結果がファミリーレストランである。短い時間で俺頑張った……と一瞬の満足感はすぐ、きょろきょろと周囲を気にした少女に砕かれる。
「大変申し訳ありませんが、人目のつく場所ではあなたがイマジナリーフレンドに語り掛ける変人扱いされてしまいます。私は恐らくあなた以外には見えません、もちろん今も」
 それを聞いてはっとして周囲を見回し、あああ、と葛藤の末己の家に案内することに決めた。誰もいないところに一人で話してるように見えるって泣ける。……と同時に、なんで彼女があんな目立つところで動けずにいたのかも理解した。彼女、あんなに苦しそうにしてたのに誰にも気づいてもらえなかった、ってことか。なんだよそれ魔法少女。……思ったより過酷過ぎやしないか。
 人を助けても、感謝もされないのか。そのせいで怪我をしても、救急車すら呼んでもらえないのか。いやそもそも医者は意味ないらしいが、そういう問題じゃない。少なくとも俺は、怪我をして動けない状況で自分の目の前を人が素通りしていくなんてきついどころじゃないんだが。
 階段を上り、二階にある自室の扉の前で再度小声で、ほんとにいいんだな? と聞いて後悔する。なんだこのセリフ、ヤる前かよ。ちげーよあほか、俺の脳内が汚れているに違いない。現に少女は首を傾げつつも、特に表情を変えることなく頷いている。恥ずかしいのは俺だけだった、俺恥ずかしい。
「その、ち、散らかってるからごめん」
 焦ったように付け加えて鍵を開け、どうぞ、と中へ招く。ぺこんと下げる頭は俺の顎より下で、やはり随分小柄だと改めて感じながら俺も部屋に入り、流れでかけてしまった鍵に一人あたふたとする。鍵かけるのまずい? なんて思ったが、そもそも魔法少女に鍵の意味はあるんだろうかと考えた頭が若干冷静になり、そのまま靴を脱ぐ。相手にその気がないのに俺だけあたふたする方がなんだかやましいんじゃないか? と思ったのだ。誓って何もする気はないんだから普段通りにするんだ、俺。
 部屋はよくある1DK。コンビニは近くにあるが、駅は徒歩十五分、スーパーはその向こうと遠い立地のせいで家賃はそこまで高くない。エアコン付きで自室に風呂トイレ別で設置されており、キッチンは湯を沸かすくらいしかできない狭さだが大学生男子が暮らすには十分な、割と気に入っている家だ。が、寝室なんてものはない為少女を案内した部屋にどどんとベッドが置かれているのはややいたたまれないものがある。机も置いているせいで狭いし、といつになく自室に文句をつけながら、普段は折りたたんでいる小さなテーブルを設置し、悩みつつも紙コップに冷蔵庫にあったミネラルウォーターの水を目の前でいれて渡す。
「悪い、人呼ぶ予定もなかったしお茶とかなくて」
「いいえ、日差しの中動けずにいましたから、とても救われます。ありがとうございます」
 堅苦しくお礼を言う少女はすぐ、いただきます、と紙コップを口に運ぶ。こくこくと飲むのはゆっくりだがしっかりと半分以上飲み干したらしい少女のコップを受け取り継ぎ足しておくと、深々と頭を下げられた。
 こちらが戸惑ううちにすぐにぴっと背を伸ばし正座して座る少女だが、やはりその腕が痛々しい。救急箱は確か母さんが用意したものがあった筈、とこの家に住んでから使っていなかったそれを押入れの中から探し出すと、きょとんとした少女が首を傾げる。そこで漸く、膝の上で重ねられた手にきつく力が入っているらしいことに気づいた。
「痛むのか? まず手当てしようと思ったんだけど、消毒液とか使って大丈夫?」
「え?」
 何に驚いたのだろう、目を丸くした少女が、少しして、あ、と己の腕を見て、忘れていましたとその傷を押さえる。
「問題ありません、もう充分力も回復しましたので、お手を煩わせずとも治癒します」
「へ」
 言葉の意味を理解する前に少女の指先が僅かに光り、小さな声で何かを囁いたかと思えばその光はあっという間に消え、くるくるとあっさり包帯を取り去った彼女のその肌に、傷なんてものはありはせず。包帯を取るとき固まった血を一緒に剥がしたのか、ぽつぽつとやや赤みが残るだけだ。
「……魔法?」
「そう……ですね、正確には神術です。我々は神々の力をお借りして使命を果たす一族ですから」
 そこから始まった話は、ただ「魔法少女」を検索していた俺の「魔法でよくわからない悪と戦う女の子たち」というイメージを覆すものだった。
「私たち一族は……いえ、私は、死神です」
 開口一番そう語られた俺の気持ちがわかるか? 俺はわからなかった。はっきり言って言われた内容と目の前の少女を結び付けるのが難しかったのだ。
 死神と言えば確かに大きな鎌を持っているのは連想するが、黒いローブだとか骸骨だとか……ああ、漫画とかで見るならかっこいい感じのキャラもいたような気がするが、どう見ても少女漫画系魔法少女といった見た目の彼女のイメージではない。白銀のあの大振りの鎌だけがそうであったかもと思えなくもないが、あれもどちらかといえば血に濡れるよりはついてた綺麗な宝石を見せつつ飾っとくレベルの、神々しさすら感じるもので……神々しい……死神も神か。
 なんでも、俺が昨日迷い込んだのは『夜の世界』と彼女、たち? が言う場所で、昼の訪れない、人が来るべき場所ではない世界なのだという。命は生まれず、育たず、今俺たちがいる世界の丸写しのようでいて、似たものがあるように見えるだけの無の空間。俺も長くあそこに留まれば確実に死んでいたと言われて、まだ冷房が効き始めたばかりの暑さの残る部屋でぞっと体温が一度下がった気がした。
 あそこで俺と彼女の他に唯一蠢いて……生きていたのは心蟲と呼ばれる化け物だそうだ。主に夜の世界に隠れ住み、時折俺たちの世界にも姿を出しては人を喰らう化け物。詳細は教えてもらえなかったが、なんでも人の心に落ちた憎しみや恨みといったものを糧に成長し、さらに得ようとその感情を煽るらしい。といっても普通はあまりその力が強いわけではなく、人自ら無意識にそれを振り払えるようなものの為に一時的に気分がイライラとする程度ではあるが、中には影を落とすのではなく人間に寄生することでその人間が罪を犯した時喰い散らかす親玉もいるらしい。昨日のがまさにそれで、そしてそれを排除するのが彼女たちの仕事だそうだ。
「あなたにはあの蟲が見えましたか?」
「むし……ああ、えっと、黒い煙と目玉と、なんか肉みたいな……」
「煙……他には何を見ましたか? あの場所で」
「え? ええっと、かさかさの葉っぱとか明かりのない家とか……あああと、赤い月か。星とかあったのかな、そこまで──」
「赤い月?」
 さぁっと顔色を悪くする少女を見て、何かまずかったのだろうかと狼狽える。と、ああ、と嘆くような声を上げた少女は、その細い量てで顔を覆ってしまった。
「私はあの時、あなたから話を聞かず帰すべきではなかった……無事でよかった。……いいえ、見つけてくれて、ほんとによかった」
 震える声で告げられて、何が何だかわからないものの恐ろしい状況なのではと混乱したものの、覚悟を決めたように顔を上げた少女が俺の前で姿勢を改める。
「あの世界の月が赤く見えたということは、あなたは過去に強い蟲に魅入られ取り込まれかけたことがある可能性がある。今回はその性質と私があの世界にいたことで引き寄せられてしまったのでしょう。私の肉体はあなたと相性がいい」
「え゛っ、にくた……かっ、体の相性? はい?」
「そうです。我が一族に人の血が流れていないわけではありません。まだ若い私は力も強くほぼあちら側の世界に属する者ですが、肉の器は確かに存在します。内に収まる死神の魂のせいでほとんど人間には認識されない筈が、あなたには見えてしまった。人間としての私が、あなたの存在そのものと恐らく相性がいいのでしょう。稀有なことではありますが、ありえないことではありません。あなたは私の半分をこの世界に繋ぎとめる存在。引き寄せてしまったことを深く謝罪します。ですが今回のことがなくとも再び引きずり込まれるのは時間の問題でしょう」
「えっ」
「あなたはどうやら蟲にとってひどく質の高い食事に見られているようです。その為その事実を隠し生きる対処をするまでの護衛を提案いたします」
「ごえい」
「はい。この地区の担当は現在私が務めております為、死神の私では不安もありましょうがご了承いただきたく。少々協力もしていただければ幸いなのですが。簡単なことです、こうしてたまに顔を合わせて頂ければよいだけですので」
「ごめん待って、情報量すごすぎてさっぱりわかんないしちょっと落ち着かせて」
 いきなり体の相性がいいと言われた俺の気持ちも考えて欲しい。まぁ彼女の説明じゃそういった意味じゃないようだが、考えてもよくわからん。話が難しいというか、一般人な俺の思考の届く範囲じゃない。
「……要約して欲しい」
「はい。あなたはあちらの世界の生き物に目をつけられやすく危険、且つ私という存在と相性がいい為、護衛と対処を対価に私に少しの間協力していただきたく」
「うんそっかわかった。それってつまり協力断れば俺命危ないんだよね?」
「……努力はいたしますが保障はできない、というだけでございます」
 なんだかとんでもないことになった気がする。混乱した俺は一分間考えた後、頭を抱えて口を開く。
「とりあえず、名前教えてくれないかな、俺秋山怜って言うんだけど」
「……あっ! 失礼いたしました! 私は神楽椿と申しま、あっ!」
 慌てた少女は名乗る勢いでテーブルに手をぶつけ、紙コップに残っていた水を盛大にぶちまけて、ああと悲鳴を上げて涙目であわあわとテーブルの淵からしたたる水を止めようと己の手やスカートで遮った。えっこら何してんだ。慌てた俺はその時初めて、少女の指先が微かに震え、緊張からか強く握られていたことに気づく。
「ちょ、服濡れるってか濡れてるってかタオル持ってくるから待てっ」
「申し訳ございません!」
 この時混乱した俺が理解できたのは、謎の魔法少女改め死神少女は俺の知らないところでとんでもない苦労をしているらしい、ということだけだった。

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