死神少女は恋に戸惑う

第九話・私を見つけてくれる人。

 明日の約束があの人からの返信によって具体的なものとなったことで、ほ、と息を吐いて普段あまり持ち歩かないスマートフォンを胸に抱く。
「緊張……した……はあぁぁぁ……」
 深く吸った息を吐きだし、お気に入りのふわふわのラグに蹲る。緊張した。強い蟲の気配を感じた時より緊張したかもしれない。夢じゃないよね、ともう一度スマホの画面をつけ、表示されたメールを見てほうっと息を吐く。こちらを気遣った、それでいて少しでも安心させようと明るい、どこまでも優しい文章に思えた。それがどこか不思議で、心配になる。彼は異能を持つ私が怖くないだろうか。人間は、自分にないもの、自分たちの及ばない力をもつものを怖がると思っていた。
 弱った私たちを見つけられる運命の相手。
 神が力と共に与えた試練とも言えるその縁を見つけることは私たち一族の悲願だ。いつか力に飲み込まれてしまう私たちが人としての命を繋ぐ、強い縁を結べる存在。
 強い力を持つ者ほど夜の中でしか生きられない私たち一族の、最後の砦。そういわれたことがあるが果たしてそれは、私にとっての砦なのか、人であるための最後の城なのか。なんにせよ、妹の分まで力を取ってしまったかのように強い力を持って生まれた私は、年々人間としては暮らせなくなっていた。あと数か月以内には夜の住人になった筈だ。死ぬまであの日の当たらない世界で戦う覚悟だってしていた筈なのに、どうしてこうも心が湧きたつのだろう。
 運命に出会うことなんてとっくに諦めがついていたと思ったのに。
 印象的な瞳を思い出し、単純にも胸が高鳴った。と同時に自己嫌悪する。
 悪い人ではなかった。むしろ、素敵な人だったと思う。普通の人間であれば間違いなく恐怖する命のない世界に迷い込み、あんなおぞましい蟲を目にしたばかりであるというのに、そこにいた意味の分からない力を使う私を助けようと手を伸ばしてくれた。疲労しているだろうに、必死に理解しようとしてくれていた。ありがとうと、言ってくれていた。
 周りに見えないのだから仕方ないにしても、必死に私を助けようとしてくれたあの人は、あの炎天下の中で私を抱えて家まで運んでくれたのだ。きっと背負った方が楽だったろうに、私にそこまでの力がないのを見越して抱えて歩いてくれた。腕の中から見上げるあの人はおかしなものに巻き込まれたばかりで眠れなかったのだろう、目の下にひどいクマもあったというのにだ。
 私が途中で回復してよかった。……そう、いや、回復……まさか、あの人の近くにいられただけでなく、一度口をつけただろうペットボトルの水を飲ませてもらったことでほんの僅かでもあの人の存在を感じて回復したなど、口が裂けても言えないかもしれない。人を守る為に人間に紛れて生活する私たちは当然情報収集だって仕事のうち……あれは、あの一族の特性は普通の人間から言わせればただの、変態、である。無理、言えない。嫌われたらどうしよう。なんて馬鹿みたいな特性なのだと子供の頃から思っていたが、実際体験した今の心境と言ったらもうひどい。私変態だった、すごい喜んだ……!

 ひとしきり悶絶したあと、会ったばかりの男性に対して何をおかしなことを考えているのだと自分を一喝し、台所に向かう。
 よかった、彼のおかげでまだ食事がとれる。神の力を得て戦う私たちは、与えられた人間の体が力に耐えられなくなると徐々に人から離れていく。人に人として認識されず、人の世界で生活できなくなっていく。それでも器は、人間なのだ。私たちを人として繋ぎとめてくれる存在に出会えなければ、人の食べ物は受け付けなくなっていき、私たちは人の肉体を失っていく。その先にあるのはあの命のない世界で、戦いに明け暮れ、そして力に飲み込まれて死を迎えるのだ。私は力が強く、私をこの世界に引き留められる人間などもういないのだと思っていた。ここ最近は食事をまともに取る回数も減っていて、皮肉なことに私の体を支えていたのは特異と言われるほど高い神力のおかげだったのだ。
 食べたいと久々に湧く欲求に心が湧きたち、ご飯を炊いて母に教えられたとおりに出汁を取りお味噌汁を作って、夜も食べれるかもしれないと煮物も作っておく。味が染みた大根が好きだ。あのやわらかい味わいはほっと全身に染み渡るようで、体の弱い妹もよく食べてくれた。魚を焼き、和え物も作って、炊き立てのつやつやしたご飯の湯気と共に広がる甘い匂いを堪能し盛りつけていく。姿が見えない状態だとお店で食料を買うこともままならず、道具を使って肉体を保ち買いに行くのも億劫になって、最近はあまり買い物をせずにいた為食材は少なかったが、良い出来だ。さすがに多くは食べられないのでいつもより少量で、それでもこうして自分で食べるのを楽しみに作るのは久しぶりだった。
 ふと、あの人を思い出す。あの人はどんな食べ物が好きなのだろう。作ったら一緒に食べてくれたりしないだろうか……と考えて、慌てて首を振る。
 少し優しくしてもらったからと言えど彼は普通の人間の男性だ。私と相性がいいだけでも、十分。ほんの少しの間会ってもらえれば、きっと妹が十八歳の誕生日を迎える来年まで私の身体をこの世界に留めておくことができるようになるかもしれない。妹は神力をほぼ得ず生まれてきた為に人間に近く、既に私を見ることは叶わなかったのだが、もう少し私の身体が落ちつけばもしかしたら……。それまでに彼の警護を固め原因の根本的な解決に取り組み、恩を返そう。戦果をあげればきっと妹が普通に暮らせるための加護のある道具を手に入れることができるので、私としては本当にありがたい縁であり、なんとしても彼に負担なく協力を得たい。……利己的だ。彼にどこまで、どうやって説明するのが正しいのだろう。
 ぱくり、と口に運んだ白米はふんわりと口内に熱と甘みを伝えるが、噛めどもだんだんと身体が強張ってくる。……まだ、駄目だったかな。
 私を見つけてくれる人。あの人がいれば私は私でいられると思うと、押し付ける様な自分の欲になんだか胸の奥がもやもやと気持ちが悪くなった。利用するのだと、利用しているのだと感じて、胃が重苦しくなっていく。
 優しいあの人には、素直に言ってしまえばきっと、見捨てたくても見捨てられない罪悪感を与えてしまう気がする。
 箸を手にしたまま明日どう話せばいいのだと迷う私の手の中で、お味噌汁のお椀がどんどん熱を失っていった。

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