死神少女は恋に戸惑う

第七話・申し訳ないが、眠かった

 結局よく理解できないまでも、俺がこのままだと危ないというのは把握したところで、突っ込んで聞きたいのはやまやまではあるが少女が先ほどまでふらふらだったこと、そして俺がそもそも理解できるほど頭が回ってないことを自覚しており、少し休憩することを提案する。ご休憩……いや決して如何わしい意味ではない。バカなボケツッコミを一人脳内で繰り広げたところで、しかし欲望は赴くままに口に出てしまった。もちろん、そういった意味ではない。
「もうわからん、眠い……」
「あっ、す、すみません!」
 水を拭き終わった少女……神楽さんが、慌てたようにそれを立ち上がる。申し訳ないが許してほしい。なんたって俺は寝不足だ。バイトで無理したせいで全身のだるさも消えていない。……何より昨日の化け物のせいで精神的にも疲れているのは間違いないだろう。
「お疲れのところ、大変ご迷惑をおかけしました。そろそろ戻ります。えっと、詳しいお話はまた後日にしましょう。少しの間あなたがまた、あの世界に紛れ込まないようにまじないをかけておきますから」
「悪い……え? まじない? それって、えっと。神楽さん、に負担かかる?」
「何の問題もございません。既に大分回復しておりますから」
 言うなり、俺が座る周囲、なんの変哲もないフローリングに敷いたカーペットの上に、ふわりと淡い光の円が……いや、魔法陣が浮かび上がる。ぎょっとして眠気が飛んだところで、これでしばらくは問題ないでしょうとほっとした表情をされた。が、いやいやいや。
「待って、送っていく。あ、家バレるのいやならそばまででも」
「いえいえ、私は問題ありませんから」
「駄目だろ、さっきまで倒れてたようなもんなんだから」
 立ち上がろうとすると慌てた神楽さんは、ふるふると首を振って後ずさる。そんなにまずかったか、と多少なりとも戸惑いが顔に出てしまったのだろう、申し訳なさそうに表情を変えた神楽さんが、規則ですから、と気まずそうに口にした。
「未熟者の私では、道具の使用なしに『普通の人間』に見せかけることはできません。本当に、あ……秋山さま以外は私を視認することができないのです。昨日は討伐のみの予定で一般の生活の中に紛れるための道具を忘れたまま、出てきてしまったのです。通常の方法で帰宅できません」
「さまって、秋山でも怜でも呼び捨てでいいよ。んーそっか、イマジナリーフレンドになっちゃうんだっけ? 通常の方法じゃないって魔法的な?」
 言っててなんだかむず痒くなる使い慣れない言葉だが、ここまできて魔法の存在を無視するわけにも言わず問えば、こくりと頷く神楽さんがやや恥ずかしそうに「怠慢でした」と呟いた。口調や態度といった様子からしても随分真面目な子らしい。
「次にお会いする時は必ずやご迷惑のかからない形で参りたいと思います。申し訳ありませんが、近いうちにお会いできる日時を教えて頂けませんか」
「明日……はバイトだな。えーっと、明後日の午後ならたぶんいつでも大丈夫だけど」
 スマホを起動し予定を確認しつつ答え、ああ、とスマホを振ってみる。
「スマホとかは? アプリあれば……なんかもっとファンタジーな連絡手段でこれは使ってなかったりする?」
「いえ……家に忘れました」
「あ、うん、んじゃちょっと待って」
 恥ずかしそうに顔を伏せてしまった神楽さんを待たせ、鞄からペンケースを取り出し、少し悩んで付箋に自分の、普段はあまり使わないメールアドレスを書き付ける。アプリのIDも考えたが、これならフリーアドレスでもいいんだしと眠気の飛んだ頭で考え満足し、それを渡す。
「何かあったらこれに連絡くれればいいから。普段使ってるアプリあるならそのID送ってくれてもいいし」
「お手を煩わせ申し訳ありません」
「だからその硬いの無しで。よくわかってなくてこっちこそ申し訳ないんだけど、俺が守ってもらう立場なんだろ? ……口に出すと申し訳なさやばいな、年下の女の子に俺は何やらせるんだ……」
「いえ、むしろ協力していただけるのなら助かるのは私のほうで……次にお会いした時にはきちんとお伝えします。今日は本当にありがとうございました」
 深々と頭を下げた神楽さんはすぐ玄関で靴を履くと、お休みになってくださいとやわらかな笑みを浮かべ、扉を開けた。あ、と追いかけようとした俺は、閉じていく扉を前にして息を詰まらせる。
「消えた……まじかよ」
 明らかに扉の先が、いつも見る外の風景ではなかった。それに驚いた時には彼女の姿が掻き消え、ばたんと閉じた扉を慌てて開いた俺は、いつもの玄関前、お向かいさんの家の壁を見て頭を抱えた。彼女はどこにもいない。
 ついていけるかな、俺。この非日常にどういった感想を持てばいいのかわからないまま、すごすごと鍵を閉め自室に戻った俺は、ころりと転がり落ちた空の紙コップを横目にベッドに身を投げたのだった。やっぱ眠いわ。

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