死神少女は恋に戸惑う

第二話・魔法少女を見てしまった

 ガキン、と聞こえた金属音で目をあける。身体が痛い、と顔を上げ、自分がアスファルトの上に転がっていることに気が付いて混乱した。
 俺は疲れすぎてとうとう道端で眠ってしまったのか? と馬鹿なことを考えながら起き上がろうと腕に力を入れ、目の前に転がった極美味特大プリンを見て思い出す。ちげーよ俺逃げてたんだよ気絶だよ。生きてるのかよ幻覚か? やべーなおい、と考えながら、あれは夢だったのかと見回して絶望する。景色は相変わらずだった。だがガキンガキンと響く金属音に恐る恐る振り返る。と、目があった。……肉片付き目玉ではない。

「……っ! さるへっ、気がついたのなら、逃げてください!」
「え、猿!? 俺!?」
「違います! きゃあっ」
 俺に猿がどうこうと叫び、今まさに何かがぶつかり悲鳴をあげたのは、女の子だった。白銀の長い髪、むき出しの細い腕に、ひらひらのスカート。顔はよく見えないが、声は大変可愛らしい、幼さを含んだものだ。あんな子供がこんな時間に何を……いや、問題は彼女が『空を飛んでいて』『鎌を振り回し』『目玉だらけの何かと戦っている』ことだった。うそだろ、と声をもらした先でまた、足元にぼたりと何かが落ち、びちゃっと音を立てて何かが潰れて地面に散らばった。……おい目玉、またかくそ野郎なんだよこれは!
「申の、『方角』です! そちらに出入り口がありますから! くっ」
「わ、わかった! そっちに……ってかなんだかわからないけど君も逃げよう!」
「この蟲を倒したら私も出ますのでご心配なさらず!」
「む、虫ぃっ!? そんな可愛らしいもんじゃないだろそれ!」
 明らかに己より子供だろう女の子を残して逃げるのはどうなのか。いや、非常に逃げたい方に気持ちは傾いているのだが、と戸惑ううちに、ふわりとまた月明かりの薄闇に黒い煙のようなものが立ち込める。ぎょっとして一歩下がると、ああ、と女の子が悲痛な声を出す。
「このままではあなたが喰われます! 逃げて! 守り切れない!」
「わ、わかったごめん!」
 何が何だかわからないが、どうやら俺がいるのは足手まといになりそうだ、というのは、武器を持つ女の子の言葉で理解できた。だが足を踏み出しかけた時、俺の脳内は一気に混乱する。
「……えっ待って、申の方角ってなに!? ってうわっ!」
 逃げる方角がわからず動きを止めたその瞬間、煙だと思っていたものが体に纏わりつき、蛇のように腕に絡みつく。肩まで迫ったその先に、目のように赤い光が二つ浮かび、その下がかぱりと横に裂けたかと思うと、肉を寄せ集めたような舌が見えた。口だ。
「駄目! 守護せよ!」
 女の子の声と同時に、何かが空から落ちてきてガシャンとガラスが割れるような音を立てた。足元で、きらきらとした欠片が弾けると同時に、地面にまるで魔法陣のような何かが描かれ放つ光が俺を包む。じゅわ、と何かが焼ける様な音を立てて俺に迫っていた口は煙ごと消え去り、背筋にだらりと冷や汗が流れる感覚が残る。
「は、はは」
 夢だわこれ。夢であってくれ。確実に非日常の何かが今目の前で広がっている。ありえない。俺は寝てるんだそうであってくれ。
 恐怖に震える腕を叱咤して先ほど煙の蛇に絡みつかれた腕を払おうとすると、ぐうと唸る程腕が痛む。思わず尻もちをつくと手のひらと尻が痛み、足元で輝く魔法陣の光が近くなった。きらきらと金色に輝く光に包まれながら空を見上げ唖然とする。
「死になさい!」
 女の子の持つ、白銀の鎌が目玉の化け物に突き刺さる。と同時に一瞬白い魔法陣のようなものが浮かび上がったかと思うと、次の瞬間には化け物は霧散した。すぐそばに転がっていた目玉と肉片も音もなく消え去り、開いた口が塞がらないままはくはくと唇を震わせていると、鎌を振り下ろして空中に消した少女が、ふわりと空から降りてくる。
 赤かった月はそのままに、だが白銀の髪を揺らして舞い降りてきた少女はきらきらと輝いていた。レースを重ねたような、ドレスのような可愛らしい服、淡い色のアクセサリーが頭から足先まであちこちにあしらわれているのにごてごてとした様子はなく少女を引き立て、幻想的ですらある。俺知ってる。これはアニメでよく見る魔法少女ってやつだそうだろう。アニメもラノベも漫画も嗜む俺だが、果たして夢に見る程魔法少女に憧れがあっただろうか。そんなことを考えているうちに地べたに座り込んだ俺のところまでやってきた少女がしゃがんだことで、逆光で見えなかった顔が漸く視界に映り込む。
 ひゅ、と息を吸い込んだ音がした。どちらのものかわからないが、目の前で青い瞳の少女もまた驚いたように目を見開く
 とんでもない美少女がそこにいた。語彙力が喪失するレベルで可愛らしい女の子は、当然のように長いまつ毛も髪の毛と同じ白銀で、青い瞳も相まって儚げだ。天使がそこにいる。いや魔法少女だと思うが。どっちでもいいや。
「あの、助けてくれてありが……あっ、その怪我!」
 透けるような白い肌だが、左の二の腕が赤く染まっている。俺に声をかけていた時彼女があげた悲鳴を思い出し、俺のせいだと気が付いて手を伸ばしたその指先が、きゅっと白い手袋に包まれた手に握りこまれた。
「ずいぶん疲れているようですね。こんなおかしな『夢』を見る程に。目が覚めたら怖いことは何も覚えていませんよ」
「は? いや、いやいや」
「大丈夫です。こんなこと忘れる方がいい。きちんと、消しますから」
 仕事後の疲労感はそのままで、尻もちをついた痛みもある。リアルすぎる感覚に、これはもはや夢ではないだろうと言い返そうとしたその瞬間、俺の体をふわりと風が撫でたかと思うと、周囲が淡く光る。意識が遠のく。何を、されたのだ。
「待っ、……」
 何を言おうとしたのだろうか。お礼か、名前か、それとも相手の名前を尋ねようとしたのか。しかし急速に意識は薄れ、心地よい暖かい風に緩やかに包まれたまま、俺は意識を手放した。

 筈だったのだ。


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