死神少女は恋に戸惑う

第一話・その日俺は

 その日俺は疲れていた。
 知り合いの紹介という形で参加しているアルバイトは、履歴書や面倒な面接もなく、会社が用意した専用の用紙に必要な情報を書き込めば学生ならばほぼ即採用、参加シフトは早い者勝ちで自分で決められるところが魅力と選んだはいいが体力勝負。飲食物を扱うその仕事は、料理こそベテランのパートのおば様たちがぽんぽんと作り上げていくもののとにかく忙しい。重い皿を運ぶ作業は腰に来るし、陶器を割ったらいけないと慎重に運ばなければならないのに人手が少なければ往復回数が半端ない。洗ってしまって運んで出して、走り回っているうちに日が暮れる。しかしその分時給はそこそこ、何よりその日によって募集人数が違うが、空いてさえいれば好きな日に参加できる。そうして一年も続けばおば様たちにも顔を覚えて貰え、賄いでおまけなんかもらったりしつつも手慣れてきた仕事をこなしていたが、今日の忙しさは半端なかった。手伝い募集十人、集まったのは五人。普段から忙しいのに二人分をこなせと言われてもできる筈もなく……なんて言ってる場合ではないのでとにかく動き回り、久々にぶっ倒れそうなほど疲れていた。
 参ったな、と明日のテストを思う。教授が予めこの日はテストだと言っていたのは明日だし、本当は今日の仕事も休むつもりだった。だが俺が昨日見た時参加人数は四人で、事務のおじさんに涙目で頼むよと懇願されたのだ。明日はテストなんで! と逃れた、筈だった。気づけば俺の目の前に、ありがとうと喜ぶおじさんの顔があった。悲痛な表情のおじさんを見捨てることができなかったのだ。押しに弱いとも言う。
 明日起きれるかな、と流れる汗を鬱陶しく思いながらタオルで拭い、乱雑にそれを鞄に突っ込む。それだけで腕が痛い。慣れた仕事といえど今日の仕事は大分筋肉をいじめた気がする。アルバイトを始めた当初はあまりの痛みに次の日寝て動けなかったのが懐かしい……いやそれでは明日は困るのだけど。
 今日も運んでる最中に皿を庇うあまりできた内出血がひどいな、なんて思いながら職場を出て家に向かう。気温は高く、夏休み前といえど気分は晴れない。俺は冬の方が好きだしな、なんて考えながら、一人暮らしの我が家に向かう前にコンビニに向かうことを決意する。カップラーメンは山のようにあるが、このくそ熱いのに例え冷房があろうと熱いものを食う気分ではなかった。どうせ麺なら冷やし中華がいいが、うちにあるのはインスタントラーメンを煮る鍋だけだ。そもそも何があれば作れるのかすらわからない。
 最寄りのコンビニに入れば冷えた空気が気持ちよかった。水道光熱費と家賃は親が払ってくれている為家に帰ればエアコンがあるにはあるが、さすがに出かける時もつけっぱなしにするのは悪い気がして電源を落としている為、家は蒸し風呂地獄の筈だ。ちょっと涼みたい気持ちと、さっさと家に帰って身体を休めたい気持ちの間で揺れながらのそのそと弁当コーナーを前に軽く落ち込んだ。冷やし中華も冷やしうどんもない。目の前に並ぶのはグラタン、カツ丼、カレー……せめてもう少し胃に優しいものが食べたい。
 仕方なく残り一つのエビカツサンドイッチと極美味特大プリンを手にし、適当にジュースを選んで会計する頃には寝てしまいそうなほど疲労が限界を迎えていた。俺はさっぱり冷やし中華を期待した腹で持ちこたえていたのかもしれない。

 そうしてへろへろになりながらアパートに戻る為、大通りから一本入ったところにある細い通りに足を踏み入れた時だった。
 もともと街灯の数が多くはなかったとはいえ、明らかにいつもより暗い気がしたのだ。電球でも切れたのかと思ったが、そもそも住宅街だというのに家の明かりがない。おかしいと思いつつも歩みを進めたのは疲労による思考能力低下のせいだ、と言わせていただく。

 そう、俺は進んでしまったのだ。このおかしな状況で月明かりしか頼りにならない道の先を。

 ぼとり、と目の前に何かが落ちてきた。思わず足を止め、薄暗い中何がと目を凝らした俺はひくりと喉が震えた。

 目玉だ。目玉がこちらを見ている。

「ひっ」

 目玉はあるのに体がない。周囲に散ったそれは肉片か、ひとつだけのそれが一体何なのかわからず後退り、暑かった筈が周囲の冷えた空気に身震いする。人間驚きすぎると悲鳴も出ないようだとどうでもいいことを考えたのは、助けてと叫びたくとも声が出なかったせいか。ガチガチと歯がぶつかり煩いばかりで、数歩後ずさった後は足も動かなくなる。逃げ道を探る視界が、通り慣れた道の異常を脳に伝えてくる。明かりがない、だけじゃない。誰かの家の庭の生垣も、花も、アスファルトを突き破った草も何もかもが枯れている。いや、葉は茂っているのに黒くかさついているのだ。

 なんだこれ。なんだこれ。なんだよ、これ!!

 叫んだ言葉は声になったのか否か、しかし次に転がった目玉と目が合ったとき、逃げなければと本能で感じたのか、弾かれたように俺の足は動き出す。
 走れ走れ逃げろ、それだけを考えて足を進めるのに、景色はどこまでも家の明かり一つない闇で、息が切れる。全身が痛い。そもそも疲れ切った体で走ったところでいつものように走ることもできず、どしゃりと音を立てて俺は転んだ。目の前をプリンが転がり、月明かりにその入れ物が光った時、それの中心が赤く光った気がした。さっきの目玉に見えてぞっと全身が冷える。ひゅう、と頭上で風が吹いたような音がなり視線だけを上げた先で、月が、赤く光っていた。視界がだんだんと、薄暗い靄に包まれていく。

 死ぬ。

 わけもわからずそう感じた後、俺は自分がどうなったのかよくわからなかった。

inserted by FC2 system